いかによく活きるか、いかによく老いるか、いかによく死ぬか

          旬(ときめき)亭は、

  ホリスティックライフ プラットフォームを目指します。

 

 

 

老いは劣化でなく、成熟だ。

 

生れたときから、

胎内にいるときから、

「老いる」という運動が始まった。

 

「老い」というものが、突然降ってくるわけはない。

 

成熟していく・・・、

 

心身共に、いつまでも、いつまでも。

 

 

 

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いま、社会は急激に変化しています。 

 

価値観が変わり、生き方が変わり、社会の基本的な通 念が根底からひっくり返るという、 パラダイム・シフトの時代を迎えています。 

 

 

社会の目的が、 

経済・産業の発展から、”一人ひとりの意識の成長・進化”に移行しつつあります。 

 

 

『部分最適から全体最適へ』を社会の命題として位置付け、 

目的展開<<統体マネジメント>>によるアプローチを展開することが求められています。 

 

 

『機能を有する身体(からだ)、氣を有する生命(いのち)場、 ひとのぬくもりを有する志・想い(こころ)』を一体・統体ととらえたとき、 ひととしての存在価値が生まれる。 

 

 

この価値を高めるために、 

機能要素の定量的なマネジメントにとどまることなく、 

自然の摂理・関係にすなおな行為・行動と、課題構想力を高め、すべてを包み込む

こころの取り組みが重要になってきている。 

 

 

自然界の一員として、 

この取り組みを活き活きとした生活・人生、さらには社会の課題解決につなげたいと想います。 

 

 

 

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ホリスティックとは、全体の、包括的なという意味で、「全体は部分の寄せ集めではない」という哲学的価値観を示す言葉です。

 

人も動植物も自然環境に生きる者すべては、有機体です。私たちの体は臓器を寄せ集めてできているわけではありません。

 

ホリスティック(Holistic)という言葉は、ギリシャ語で「全体性」を意味する「ホロス(Holos)」を語源としています。 

そこから派生した言葉には、Whole(全体)、Heal(癒す)、Health(健康)、Holy(聖なる)…などがあり、健康-Health-という言葉自体が、もともと「全体」に根ざしています。

 

 

ホリスティック医学では、身体だけでなく、目に見えない心や霊性を含めた”Body-Mind-Spirit”のつながりや、環境まで含めた全体的な視点で健康を考えます。

 

これまでの科学や医学は、ものごとを細かな要素や機能に還元し、生命現象までも分割・分離してきました。

その結果、私たちの健康や生活環境、社会の仕組みまでも縦割りに分断され、全体としてのつながりや働き(相互作用)が極めて見えにくくなってしまっています。

 

それが結果的にさまざまなストレス要因となって、私たちの自然治癒力を弱めているともいえます。

 

人間を身体・心・生命からなる統合体として捉え、社会・自然・宇宙と繋がり調和し、全人的・全体的に良好な状態を健康という健康観です。

 

 1.人間を「身体・心・生命が有機的に統合した生命体」として捉え、

   社会・自然・宇宙のすべてと繋がり調和し全体的にwell-beingな

   状態を健康とみなすという健康観に立脚します。 

 

 2.生命力・自然治癒力を癒しの原点におきます。 

 

 3.自ら癒す姿勢を基本とします。 

 

 4.西洋医学・健康学の利点をいかしながら、種々の方法を選択・統合します。 

 

 5.生から死のプロセスの中で、老い・病気・障害などの深い意味に気づき、

   より深い充足感のある自己実現をめざします。

 

 

現代の医学は各疾患の根治に主眼が置かれることから、手術や薬物を用いて病気本来の原因を取り除くのを目的とする治療になりがちです。

そのため患者のQOL(Quality of Life:生活の質)が二の次にされるケースもときとして見受けられます。

 

 

<これからの医療(予防医学)>

 

 一次予防 : 病気にならならないための生活習慣、食習慣の改善。 

        免疫力、自己治癒力の強化。

 

 二次予防 : 未病を治す。 (早期発見と治療)


病気の予防をするためには、一人一人が、 病院や医者まかせにはしないで、自分の健康は自分で守るとうい意識と、そのための知識を身につけていかなければなりません。

 

  

<部分最適から全体最適へ>

 統合(補完代替)医療(Complementary and Alternative Medicine)

 

  (1)自然治癒力、免疫力の向上を目指す 

  (2)ライフスタイルの改善を促す 

  (3)個人差を重視し個別的な有効性を評価する

 

  ・アロマセラピー  

  ・ヒーリング  

  ・カウンセリング  

  ・ホルミシス療法

  ・マインドスピリット  

  ・ヨーガ  

  ・食養生

  ・デトックス 

 

 

”冷え”は諸悪の根源というくらいに冷えはカラダに様々な問題を引き起こすといいます。


カラダが冷えていると、血液の流れが悪くなり、筋肉に必要な栄養が届きにくくなると同時に、老廃物の回収も滞りがちになります。その結果として、肩こりやむくみとして現れてきます。


こういった、カラダが発するメッセージ(症状)に気づかないと問題はどんどん深刻化してしまいます。


病気になってしまってから仕方なく動き出すのではなく、病気になる前、つまり日常の中でカラダの声を聞き、セルフケアの精神を持つことが大切です。


旬(ときめき)亭の考える免疫メカニズム

症状対応(部分最適)からすてきに活ききる(全体最適)アプローチへ   旬(ときめき)亭http://sutekini-ikiru-cafe.jimdo.com/
          ホリスティックライフプラットフォーム

自己治癒力・免疫力を高める

自分自身で、自己治癒力を高めるセルフ治療

 

誰か他人に治してもらうのではなく、自分自身で治すという自立した姿勢で病気に立ち向かうことにより、自己治癒力を向上させる方法です。

 

 

 <生活リズム・スタイル>

 

昼間はよく体を動かし、夜は質・量ともにしっかりと睡眠をとる。

 

 

 <考え方とストレスマネージメント>

 

◇自立心

最も大切なことは、自分自身が、「治る」と信じ、自分で「治そう」と思って、

努力することを惜しまないこと

 

◇ストレスマネージメント、血行、自律神経バランス

ストレス負荷を上手にコントロールする方法を身につけ、自律神経のバランスを

整え、血流を改善する

 

☆ 考えすぎない

 働きすぎない

 いい人になりすぎない

 よけいな物を食べない

 身体をよく動かす

 よく笑う

 よく眠る

 いい加減に活きる

 病院・医者にはできるだけ、かからない

 薬はできるだけ、飲まない

 たまには、旅にでる

 

      ホリスティックライフ

帯津良一さん

恒川洋さん

樋田和彦さん

安保徹さん

村上和雄さん

       老いることはポジティブ

老いることはポジティブ

 

高齢者は孤独なのではなく、毅然としているのだ。無力なのではなく、おだやかなのだ。依存的なのではなく、親しみやすいのだ。外見に魅力がないのではなく、内面が深いのだ。そして、頭の回りが鈍いのではなく、思慮深いのだ。


 「老いの神話」を打ち破る作業は、すでに紀元前1世紀に古代ローマの賢人キケロが『老境について』という本で行っています。キケロは大カトーに託して、老年について次のようにポジティブに語っています。老年になれば確かに「青春と活気」を必要とする若者の仕事からは引退しなければならないが、世の中には老人に適した多くの仕事がある。むしろ偉大な仕事は老人の「知恵や知識」によって成し遂げられるのであるとキケロは宣言しています。


 また、老人になると物忘れがひどくなりぼけてくるという偏見に対しては、熱意と活動とが持続しているかぎり、老人にはその知力がとどまっているのだと反論しています。


 さらに、肉体的能力の衰えについては衰えをまったく否定するわけではなく、むしろ老年にふさわしい肉体的健康をポジティブに受け入れることが大切であるとキケロは強調しています。自分がいま、青年の持つ体力を実際欲しがっていないのは、あたかも青年時代に雄牛や象の持っている体力を欲しがっていなかったのと同じである。自分が持っているものを使うと、またなにごとをなすにしても、自分の力にふさわしいことをなすのが正常なことだ。キケロはそう言うのです。


 老人は、失われた若者の体力を基準にして老年の非力を嘆くのではなく、現在の自分をあるがままに肯定すること、年輪によって育まれた知恵と見識を発揮することに現在を生きることの意義を見いだしうること、これがキケロが力説してやまない点でした。『老境について』は老年論の古典となり、キケロの老人観はヨーロッパの伝統として生き続けてきました。


 他にも、世界中のさまざまな文化が「老い」から「死」へのプロセスをポジティブにとらえています。日本の神道では、「老い」とは人が神に近づく状態です。神への最短距離にいる人間のことを「翁(おきな)」と呼びます。また7歳以下の子どもは「童」と呼ばれ、神の子とされます。つまり、人生の両端にあたる高齢者と子どもが神に近く、そのあいだが人間の時代となります。ですから神道では、神に近づく「老い」は価値を持っており、高齢者はいつでも尊敬される存在であるといえます。



■老いをめでたいととらえるアイヌの人々


 アイヌの人々は、高齢者の言うことがだんだんとわかりにくくなっても、老人ぼけとか痴ほうなどとは言いません。高齢者が神の世界に近づいていくので、「神用語」を話すようになり、そのために一般の人間にはわからなくなるのだと考えるそうです。これほど「老いの神話」を無化して、「老い」をめでたい祝いととらえるポジティブな考え方があるでしょうか。「老い」とは人生のグランドステージを一段ずつ上がっていって翁として神に近づいていく「神化」にほかならないのです。そして、その神化に至るまでの道のりは、人間という生物としての競争を勝ち抜いてきた結果でもあります。


 かつて古代ギリシャの哲学者ソクラテスは「哲学とは、死の学びである」と言いました。わたしは「死の学び」である哲学の実践として2つの方法があると思います。一つは、他人のお葬式に参列すること。もう一つは、自分の長寿祝いを行うこと。


 神に近づくことは死に近づくことであり、長寿祝いを重ねていくことによって、人は死を思い、死ぬ覚悟を固めていくことができます。もちろん、それは自殺などの問題とはまったく無縁な、ポジティブな「死」の覚悟です。


 人は長寿祝いで「老い」を祝われるとき、祝ってくれる人々への感謝の心とともに、いずれ一個の生物として必ず死ぬという運命を受け入れる覚悟を持つ。また、翁となった自分は、死後、神となって愛する子孫たちを守っていくという覚悟を持つ。祝宴のなごやかな空気のなかで、高齢者にそういった覚悟を自然に与える力が、長寿祝いにはあるのです。その意味で、長寿祝いとは「生前葬」でもあります。


 わたしは、本当の「老いの神話」とは、高齢者のみじめで差別に満ちた物語などではないと思っています。年齢を重ねるごとに知恵と見識を発揮し、尊敬される人間になり、神に近づいていく。この愉快な物語こそ、本当の「老いの神話」ではないでしょうか。

 


家で看取る

穏やかな死に医療はいらない

穏やかな死に医療はいらない
穏やかな死に医療はいらない


第一章…上手に枯れて穏やかに死ぬ

 

★「ゆっくり」「じんわり」穏やかに生き抜く

 

★僕が後悔している延命治療―胃ろう

・胃ろう製造器だった頃の僕

・手足が曲がり、寝たきりで過ごすお年寄り

・「いつでもはずせます」の実態は……


★僕が後悔している延命治療―点滴

・「足りないから追加しておいたぞ」

・「点滴=栄養」という誤解


★僕が後悔している延命治療―抗がん剤

・外科の抗がん剤治療を一手に引き受ける

・やめどきを伝えられなかった患者さん

・中止のタイミングがもっとも大事


★もしも余命一ヶ月といわれたら僕が受けたくない医療

・難しいけれど、考えてみた



第二章…自宅はホーム、病院はアウェイ

 

★病院医師が帰宅に反対する理由

・生き生きとした終末期を知らない

・身体ではなく、心を診る


★自宅だからできる穏やかな死

・「自宅で死ぬのは大変」は嘘

・「入院していれば安心」大嘘

・酸素よりタバコを選んだおじいちゃん


★一人でも自宅で死ねる

・「孤独死」じゃなくて「孤高死」

・一人で穏やかになくなった二人のおばあちゃん


★「本当の看取り」に医療はいらない

・心電図ではなく、患者さんの心に寄り添う

・最期の日までサポートする



第三章…自分の最期は自分で作る

 

★死を受け入れよう。でも余命診断はあたらない

・真実を知らされないことの悲劇

・受け入れてから、すべてが始まる

・治療しなければあと○日…に騙されない


★最期のお別れはお早めに

・最期の日がくる前にお別れをしよう

・頑固な夫が握手でお別れ


★人はどんなふうに亡くなっていくのか

・「トイレに行くこと」は生きている証し

・最後の望みは「トイレに行きたい」

・穏やかな死で起きる変化


 

たきがみ博士
たきがみ博士

  旬(ときめき)亭

  亭主 たきがみ博士