中国の古典、「大学」の中に次のような言葉がある
「心不在焉、視而不見、聴而不聞、食而不知其味」
(こころ、ここにあらざれば、みれどもみえず、きけどもきこえず、くらえどもそのあじをしらず)
心がここになくて、うわのそらだったら、何を見てもそれが見えないし、何を聞いても聞こえないし、何を食べてもその味がわからない
意識がそこにいっていないからだ
反対に、「寝ても覚(さ)めても」という言葉がある
四六時中、いつも考えている、思っている、ということ
何かの問題を解決しようと、寝ても覚めてもそのことを思い続けていると、いつのまにか、不思議にアイデアがわいてくることがある
意識がそこにあるからだ
面白いことに焦点をあて、それをいつも見ようとしている人には、面白いことが起きる
つまらないことや嫌なことばかりに焦点をあて、それを見ている人には、つまらないことや嫌なことばかりが起こる
「自分の心の中にあるものが見える。それがこの世界のカラクリです」
自分の意識にないものは見えない
《事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである》(フリードリヒ・ニーチェ)“同書より”
どんなときも、面白いこと、楽しいこと、愉快なことに焦点をあてる人でありたい
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