事実は 一つ、感じ方は 二つ

自分は「幸せだ」という前提で生きれば

現実は「幸せに」感じられる

 

自分は「不幸だ」という前提で生きれば

現実は「不幸に」感じられる

 

自分は「豊かだ」という前提で生きれば

人生は「豊かに」感じられる

 

自分は「貧しい」という前提で生きれば

人生は「貧しく」感じられる

 

自分は「愛されてる」という前提で生きれば

世界は「愛に満ちたもの」に感じられる

 

自分は「愛されてない」という前提で生きれば

世界は「愛が欠けたもの」に感じられる

 

 

仮に 

辛いことがあっても

 

自分は「幸せだ」という

前提で生きてる限り 

 

どんな現実も受け入れられる。

だから いつも幸せを感じられる。

 

 

仮に

辛いことがなくても

 

自分は「不幸だ」

という前提で生きてる限り 

 

努力して お金持ちになっても、

恋人に優しくされても

 

信じられず、

いつも何かが足りない。

 

 

花を見て「美しい」と感じる人がいる。

 

花を見て 何も感じない人もいる。

 

美しい風景は、

 

それを眺める人の心の中にある。

 

 

「事実は 一つ、感じ方(認識)は 二つ」 

 

 

ただ 本当は すべての人が

 

「幸せ」なのに

 

「幸せではない」と思い込んでるだけ。

 

「愛されている」のに、

 

「愛されてない」と思い込んでるだけ。

 

 

「事実」は 既に 

 

「幸せ」で「愛されてる」のだから、

 

あとは 「前提(認識)」を変えていくだけ。

 

 

そうすれば

 

「望む現実が 手に入れば 自分は幸せになれる」 

 

という生き方ではなく 

 

「幸せな自分が 望む現実を 創造していく」 

 

という生き方へシフトしていくはず

 

 

*幸せはいつも「今」ここにあるさんから転載 

 

 
たきがみ博士
たきがみ博士

  旬(ときめき)亭

  亭主 たきがみ博士